私は、育った環境のせいか、
昔からの風習である仏事には、慣れ親しんでいる。
春・秋のお彼岸、夏はお盆、
そして、故人の命日、はたまた○回忌。
以外に決め事通りにやろうとすると、
一年が忙しかったりするものだ。
それは、ともかくとして。。。
それはお盆も近づいた8月某日。
私は何となく、ふと叔母の事が頭を過ぎった。
「いったいそれは、何故だったのだろう。」
今になれば、そう・・・思い出される。
そして、思いつくまま不意に実家に電話。
そこで遺産についての話の流れで、亡くなった叔母の話が出た。
そして、いろいろな情報を集める為にも
墓のあるお寺を尋ねる必要があったのである。
定かでないお寺の僅かな手がかりは掴めた。
その話を私が主人に伝えていた時の事だった。
いきなり、霊媒体質の主人を通して、
何と叔母が話し掛け、思いを伝えてきた。
その結果、叔母の供養の事を含めて、
お墓のありかを探さずにはいられなくなったのである。
墓自体は、私の住まいから車で40分程の所にあるらしかった。
早速車を飛ばし、探索を始めた。
散策しているその車中でも、
しきりに叔母は、自分の墓のありかを
映像として送ってくる。それは、忙しい程に。。。
だが、そのお陰でさして迷う事無く墓を探し当てたのだった。
叔母が送ってきてくれた映像が、確かにピタリと一致していたから。
親戚が、必死に何年間も探し続けて見つからなかった場所が
今、目の前にある。
こうゆう事が実際にあると、
やはり魂は確かに存在していて、多くの思いを抱え
黄泉の国からでも、訴える事が出来る。
その後、叔母とコンタクトを取ってみた。
長い年月を経たが、思ってもみなかった肉親に会えた事が
叔母にとっても不思議で、驚いた事だったようだ。
今回の事で、こうしてきっかけを得て、天とこの世を繋げたこと。
先日参加した聖子さん千鶴さんのミディアムのWSも
大いに参考になったと思う。
今後の役目として、叔母の思いを忘れ形見の息子に
” 伝言を伝えれたら ” と思っている、お節介な私である。^^
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