叔母が他界したのは、50年近くも前の事である。
年若かった叔母は、さらわれるように年上の男性の元へ、
後妻として、嫁いで行った。
お察しの通り、いろいろと事情があったらしい。
反対され家を出て嫁いだ為、
叔母としては、
育った親元には、どんな事があろうと
「2度と帰れぬ」と思っていたのかもしれない。
そして。。。
嫁ぎ先での叔母は、ご主人やそのお姑さん、
先の奥さんの3人の子供達の面倒、
それに自分の子供の世話も加わって
さぞ大変な毎日を送ったのだろう。
まもなく、若くして病に倒れた。
それは、肺結核だった。
今は薬で治る病気だが、昔は移る病と嫌われ
隔離された病である。
それゆえ、いとおしかったであろう自分の子供の顔を
見ることすら出来ずに、1人淋しくこの世を去ったそうである。
私は、叔母の事を思うと病の床から見上げていた
窓の外の青い空の情景が見えてしまう。
空は透けるように青いのに、
叔母の心は寂しさで一杯なのだ。
それでも、決して自分の選んだ生き方に
後悔の念は持ってはいない。
とても凛とした、叔母だった。
叔母の死後、嫁ぎ先の慣わしで、その遺骨は育った家へは
戻る事はなかった。
そのお墓を探す事になったのである。
手がかりは、定かでないお寺の名前と、
その寺が、私の住んでいる隣の市かもしれない・・・。
それだけだった。
そんなお盆を迎えようとしていた夏、
叔母はあるきっかけを通して、
自分の眠っている場所を伝えてくる事となる。
スポンサーサイト