愛する人を突然失う苦しみと言うものは、
こんなにも辛い事なのか・・・。
自分が過去にそのような体験をしていたとは、
少しも気づかなかった。
それから少し先も、この辛い思いを引きずる事になってしまう。
そんな時、50歳も過ぎた頃だろうか。。。
人として心を許す事のできる男性が、私のもとに現れた。
1人で年老いてゆくことへの不安や、
心の痛手を、その人は優しく包んでくれた。
暫く静かな時を過ごしていたのだが、
やがてその男性が、病の床に就いてしまう。
「また私は1人、取り残されてしまう。。。」
そんな想いが、再び私を襲う。
催眠によりこの情景を見ていた時、私は思っていた。
「この心の空虚感を手放さなければ」と。
そもそも・・・
私がこのヒプノを受けた理由のひとつは、
最近自分の中に浮上してきた男性性と女性性との関係。
ライトワーカーとして歩んで来た私には、
「受け取る」という気持ちが不足気味で、
それには特に、自分の中の女性性に目を向ける必要があった。
その結果、漠然と「愛された記憶」を思い出したいと思いついた。
ある意味この時期に来て、
受け取る事と与える事のバランスを取ろうとしたのだと思う。
結局のところ、このヒプノでの私は、最後まで独身を貫き、その生を終えた。
でも、気が付けば、愛し合った時間が短かったこと事体は、問題ではなかった。
大切なのは、どれだけ深く愛し合ったか・・・
その時の女性としての幸せな想い、愛された記憶。
今回のヒプノで浮上したネガティブな孤独感を
セラピストさんのサポートで、その想いを解放した。
解放後、セラピストさんに、
「自分を守護している存在と会ってみたいですか?」と提案を受けた。
もちろんまだ催眠中である。
即座に「はい。」と答えていた。
守護している存在と会えると言う事は、自分の使命も知る事が出来るらしい。
アカシック同様、ここでもまた聖母マリアが現れた。
この事で、自分の使命を再確認する事ができたり
また過去のネガティブな想いも
手放す事ができたヒプノの経験だった。
それはとても有意義なものとして、これからの私の活動に一役かってくれると思う。
自分という人間の幅が広がったような感覚でもある。
今は静かに暖かい。。。ハートの奥の深い部分が。
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